桜楽日記

備忘録とか、道歩きの記録とか。

JR岩泉線 押角トンネル

押角峠シリーズの3つ目、この一連の記事で押角峠周辺は一区切りとしたい。

紹介するのはJR岩泉線で使われていた、押角トンネルだ。

1947年、当時国鉄の小本線だった路線は岩手和井内駅までしか開通していなかったが、同年に押角トンネルが開通、前回紹介した押角駅と、トンネルを抜けた先の宇津野駅までが延伸された。雄鹿戸隧道の開通は1935年であったので、岩泉線の押角トンネルのほうが一回りほど若輩ということになる。

 

ところで、これまで「雄鹿戸」と「押角」の表記ゆれについてはあまり触れてこなかった。以前の記事で紹介した「府県道岩泉宮古線道路改良計画図」には「雄鹿戸峠」という記載がされていた。すなわち雄鹿戸隧道が造られるまでは、「雄鹿戸」という地名は極めて一般的だったと考えられる。

では、どのタイミングで「雄鹿戸」が「押角」へと変わっていったのか。1947年に開通した鉄道トンネルが「押角トンネル」という表記を使用していることから、1935年~1942年の間の8年間に、この転換点が訪れたと考えていいだろう。とはいえこの7年間は戦争真っただ中、激動の時代である。案外1947年の鉄道トンネル命名の時に「オシカド」の漢字が「雄鹿戸」であることを考えずに音だけで「押角」にしたのかも・・・転換の真相は不明である。

 

ちなみに、隧道とトンネルの違いは深く考えなくてもいいと思っている。隧道は日本で昔からある、主に戦前に誕生したものに用いることが多い。んで、この手の「隧道」は、銘板を右から左に書くこともよくある。

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一枚目の画像が「雄鹿戸隧道」の銘板。二枚目の画像が開通記念碑だ。どちらも右から左に書かれているのが分かるだろう。

戦後は欧米化が進んだ中で表記も改められていき、隧道には「トンネル」という表現がされることが多くなったが、中には左から右書きで「隧道」という表現にこだわった、我の強い(?)ものもちらほらある。

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本編とは関係がないが、こちらは国道283号にある仙人峠の仙人隧道。銘板を見てもらえればわかると思うが、こちらは左から右に書かれている。

 

「押角」のほうのトンネル

話がすこし横道に逸れたが、雄鹿戸と押角の2つを語るうえで外せない事項だと思ったので、少し込み入った書き方をした。

本題に戻って、岩泉線で使用されていた押角トンネルである。

場所は国道340号の、まさに押角峠に挑もうかという地点で下りに分岐する地点の近くだ。廃止されていない間は絶好の撮影スポットだったかもしれない。

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林道(作業道か?)からでも、一枚目のようにトンネルの坑口が見つけられる。線路の上に立って真正面から見ると二枚目のような感じだ。ちゃんと袖の部分には「押角」の二文字が設えられている。

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鉄道でよく見る感じのプレート。トンネル脇に設置されているものとしては標準的なものだ。L(総延長)は2,987m。ここから3km近くも暗闇の中だ。

なお、この押角トンネルの南側坑口で特徴的な部分は、スパンドレル部が丸石積みの坑口であることだ。

これはここより南側にあるほかの岩泉線のトンネルにも共通することで、最近の主流であるコンクリートでガチガチに塗り固めたタイプよりも前のものと考えることができる。にもかかわらずアーチ部はコンクリートになっており、丸石積みの馬蹄型コンクリートアーチだ。ちなみにあくまで個人的な見解だが、スパンドレル部がコンクリートか、丸石か、レンガか、角石か、素掘かで、古さにある程度の当たりが付けられる気がする。もちろん例外は多数あるだろうし、この点で議論しても仕方がないので先に進むこととする。

トンネルの構造を勉強するにあたって、以下のサイト様を参考にさせていただいた。

隧道の構造に就て

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全線に渡ってまっすぐのはずなのだが、出口の光はこれっぽっちも見えない。3kmもあるトンネルだから当然といえば当然なのだが、上り勾配ということも大きな要因だろう。坑口の状況から察するに、内部は比較的良好なままだと考えられる。

峠部に作られるトンネルの多くはサミット部が高く、両側の坑口部が低くなる拝み勾配か、片方の坑口が高く反対側が低い片勾配であることが多いと思う。これは洞内の排水に影響するためである。押角トンネルの構造は調査していないのではっきりしたことは言えないが、仮に拝み勾配だとした場合、サミット部は南側寄りにあり、地図上で計測した距離はおよそ1kmといったところ。

ちなみに地理院地図だと両側の坑口の標高はそれほど差がないように見えるので、おそらく拝み勾配なのだろう。

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勾配標は12パーミルを示していた。サミット部が1kmほど先だとすれば、その部分は現在地点より12m高くなっていることになる。そりゃ出口も見えないわけだ。

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トンネルの手前には橋があり、この橋の名前はわからない。銘板を探してみたが、見つけることはできなかった。橋から少しはみ出た橋脚に立ち、押角トンネルの南側坑口を撮影。このアングルが割と好き(笑)お気に入りの一枚である。

なお、橋の下を流れる川は押角川というようだ。すぐ下流で刈屋川に合流するが、押角川という名前を示したものは、道路を含めてもこの一枚の看板しか見つけることができなかった。

 

北側の坑口の様子

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北側の坑口はとてもシンプルだ。なおこの部分の探索は日を改めて行ったため、季節が違っている。

南側と違うのはスパンドレル部も含め、ガチガチのコンクリート造りのトンネルであること。

南から北にかけて延伸したこのトンネルは、北口のほうがいささか現代的な造りになっているようだ。右側にはコンクリート製の構造物があるが、これは線路の土台そのものであり、南側で見た丸石積みの石垣とは違う点も挙げられる。

袖の部分には何かを埋め込んであったかのような白い部分があるが、おそらく南側坑口と同じく「押角」という文字が書かれていたプレートだろう。北側坑口の場所は、押角峠を岩泉方面に下り、勾配が落ち着き始めるころに右手に見えてくる。写真に収めていないが、坑口前は広場のようになっていて、その部分が宇津野駅跡だったようだ。

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一枚目が、押角トンネルの北側坑口から少し離れた部分から撮影したもの。写真の奥に見える黒い穴が北口で、そこから中央よりやや右の電信柱のあたりまでが宇津野駅の跡だったようだ。現地には特に宇津野駅跡を匂わせるものはなかったが、外された枕木なんかはたくさん積み上げられていた。

二枚目はこの岩泉線が廃止になった原因の一つでもある、土砂災害についてを示す標識だ。ここからさらに北に岩手大川駅があるが、押角駅岩手大川駅の間で、どうやら土砂災害が発生したようだ。

三枚目の標識はよくわからないが、おそらく曲線標というものではないだろうか。読み方は詳しくわからないが、おそらく路盤の傾きとかを書いてあるのだろう。不勉強ですまないが、どうやらこの裏にも文字が書いてあったようで、その部分を撮影し忘れてしまったため、これだけではよく分からないのだ。

 

さて、これにて押角峠周辺の記事は読み切りという形である。この押角トンネルは現在、国道340号の新たな道路用地として改良を受けている真っ最中だ。この鉄道トンネルの跡を元にして、さらに幅広で立派な国道トンネルが造られている。その工事中の写真が次の一枚だ。

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そうやって掘るのかよ!!!!!

と、思わず自分でも驚いてしまった。コンクリートでガチガチに塗り固められた部分には、かつての押角トンネル南側坑口だった部分と、それを凌駕する大きさの大断面が描かれている。トンネルだった部分はすっかりコンクリートが充填されてしまい、面影はもうない。

しかしこれを見ると・・・随分立派なトンネルに生まれ変わってくれそうで、とても期待が持てる。鉄道トンネルの廃止という意味では少し寂しい部分ももちろんあるが、こうして道路に転用され、脈々と受けつがれていくことを考えると、それもまたトンネルとしての余生なのかな、と思ったり。

 

近代的なこのトンネルが開通し、道路として供用されるのは2020年の予定。だがもう、岩泉線の「押角トンネル」を見ることはかなわないだろう。

ところで、この新しいトンネルの名前は何になるんだろう?鉄道トンネルの転用であれば「押角トンネル」か、あるいは「新押角トンネル」が妥当だと思うが、道路の改良という意味であれば、まさに峠には「雄鹿戸隧道」があるわけで。さすがに隧道という表現は用いないかもしれないが、「新雄鹿戸トンネル」とかになるのかな?

 

余談

押角駅から岩手大川駅の間の区間はかなり急峻な地形で、トンデモナイところに線路が通っています。岩泉線はほぼ全線を目視し、歩けるところは歩いているつもりですが、唯一アクセスできない点がこの押角から岩手大川にかけての区間。いつか歩いてみたいですが、かなり上級者向けな気がします・・・笑

今回の記事で押角峠周辺のものは一区切りです。岩泉線についてはまた時期を改めて、詳細な記事を書こうと思っています。これから書こうと思っているのは道路の記事なので、しばらくは岩泉線の執筆がないと思いますが・・・写真はそれなりにあるので、順次紹介できればなと思っています。