国道7号旧道 矢立峠橋
めちゃくちゃ久しぶりの更新になったような気がする。
今回はほんとにちゃんとした国道だよ!
といっても、国道340号の記事みたいに、あまり丁寧には調べてない・・・
調べてないけど、現在の国道7号からとても近い廃道・・・もとい、廃橋だ!
矢立峠
今回紹介する国道7号線は、新潟県新潟市から青森県青森市に至る、いわゆる一級国道である。古くから北日本の日本海側交通の中心となった国道7号は、羽州街道、浜羽州街道という名前で呼ばれていたこともあった。制定は昭和27年(1952年)だが、もちろんそのずっと前からも利用されていた道であり、歴史は深い。古くは元慶2年(878年)にもこの「矢立峠」という名前が登場している。また、菅江真澄や吉田松陰、イザベラ・バードと言った歴史的な人物も、この矢立峠とのかかわりがあったようである。
国道7号線の中でも青森県平川市と秋田県大館市を分かつ、標高258mの矢立峠は交通の難所であった。今回は取り上げないが、旧奥羽本線の線路跡も近くに眠っており、連続するカーブに7つのトンネルという極めて厳しい環境であった。道路も御多分に漏れず、急峻な地形をうねるように道路を通していたようだ。
また矢立峠周辺には温泉が多く、道の駅やたて峠の愛称も「天然杉といで湯の里」であるくらいには、杉と温泉が有名なところである。かつて林業大国であった秋田県の秋田杉の名産地として、この矢立峠は注目されていたのである。
歴史が深いということは、古い道路から新しい道路に改められる回数も多く、その痕跡を、矢立峠周辺で探ることができる。周辺には案内板も設置されている。今でもこうした旧国道、街道をめぐり、疲れた体を温泉で癒す観光客は少なくないのだ。
矢立峠周辺の案内図。明治道なんかも描かれていて、周辺は遊歩道整備されている。
だが、今回の目的は温泉ではない。
ターゲットの橋は、現在の国道7号線に切り替わってから、線形改良によって廃橋になった比較的新しいものである。そのため旧国道、街道といった趣旨からは少し外れる。
矢立峠という峠の名前そのものを冠した矢立峠橋は、線形改良によって今は新矢立峠橋となっている。この橋はすでに落とされており、現在はその姿を見ることはできない。
まずは新しい橋から
新矢立峠橋を北側の袂の東側から撮影。
これが新矢立峠橋。全長80mの立派な橋である。先代もとてもカッコイイ橋であったのだが、こちらも主脚がごつい1本で構成されており、下からの眺めは圧巻だろう。
下から眺めたかったけど、藪が濃くて降りられなかったんだよ・・・
だが橋の上から、この下を撮影することはできた。ちょっとした「探し物」があったのだ。
あーあるね。
隧道、見えてますね。
藪が濃いからもしかしたら見えないかなとか思ってたんだけど・・・
奥羽本線旧線の「矢立第四隧道」である。西側の欄干から下を見ると、この風景がたやすく見つかる。この路盤はまだ未踏査であり、いずれ探してみたいと思っているが、なかなかまとまった時間が取れないのだ・・・
今回のターゲットは橋、橋!!気を取り直していこう!!
その割には東側の橋の風景を撮影していないのだが
矢立峠橋へ
新矢立峠橋を北から南に渡り、袂から西側に分岐する旧道に入ると、説明するでもないくらいだが、簡単に橋にアクセスできる。まあ橋はすでに落とされているので、アクセスできた、が正しい表現になるが。
この写真は旧道から新橋を撮影したもの。近代によくみられる一般的な橋といえばそれまでだが、橋台の造りが武骨で惹かれるものがある・・・
橋の専門ではないので、詳しいことはわからない。銘板も見ていないので憶測でしかないが、おそらくプレートガーダー橋だと思う。橋にもいろいろ工法やら形やらで種類があるので、そこはまだ不勉強なのだ。
そしてこちらが旧橋。まだまだ現役で戦えそうだが、見えないところに老朽化が来ているのかもしれないし(橋の寿命を知らない素人の意見)線形改良という意味では、仕方ないことなのだとは思う。
渡り切って、北側の袂から見る。こちらは現道と違いまっすぐな橋だが、やはり交通過多には少し役不足なようにも見える。
矢立峠橋も新矢立峠橋と同じく、桁橋だったのかもしれないけれど、橋台の近くは架橋工事による急斜面と激藪のおかげでアクセスできず。なので橋の下の写真が取れていないから、この橋が構造上どれに分類されるのかはちょっとわからない。
こちらのブログ様では、解体中の矢立峠橋の様子が見られる。だがその橋の構造を見るに、アーチ橋だったのかもしれない。直線だし、短いし・・・アーチでも足りるような気はするが。ちゃんと写真撮っておけばよかったよ・・・
北側の銘板2枚。南側はなぜか撮ってない。そっちに竣工年とか書いてるのに失念してしまった・・・
北側のちょっと高くなってるところからパチリ。現道の橋のほうがちょっと高いようだ。
ちなみにここで見えている橋の袂の看板も、今となっては撤去されてしまった。
お気に入りの一枚。現道の橋が架橋されてからもしばらくは残っていたので、てっきりこのまま残すのかなあと思っていたけど、知らないうちに撤去されてしまっていたので、ちょっと寂しい気もする。
ぼくが小さいころからずっとこの「矢立峠橋」だったので、少なくとも20年はここに架かっていて、国道7号の橋として奮闘していたようだ。
竣工年等を失念してしまっているので、改めて分かり次第追記する・・・かも。
余談
しばらくぶりの更新になります。いろいろなところに赴いて写真を撮ってきてはいますが、なかなか記事にする時間がなくて・・・すみませんw
相変わらず岩手県でもまたいい感じの廃道を見つけたりしているので、今後とも記事にして行けたらなあと思っています。あと、例の丹敷隧道ですが、実際に赴いたけどやっぱり見つかりませんでした。ただ、それっぽいような気がするところはあるので、そこの裏が取れれば、記事になるかな・・・と思います。