宮古市道二又線
今回は前回の県道からさらに下のマイナーレポート。
いわゆる市区町村道に分類される市道である。
更新するたびに道路の格が下がってきているような気がするが、あまり気にしないでもらいたい。
ちなみに今回のレポートはマイナーでもあり、敗戦レポである。
廃線ではなく、敗戦。探索そのものに失敗した。
ボツでもいいかな・・・と思ったけど、いずれ再挑戦はしたい。
なので簡単な写真と紹介だけにとどめておく。
市道というものは詳細な資料が取り寄せにくく、この道がいつできたのか、とかは、憶測でしか紹介できないがご了承いただきたい。
管理放棄されてそう
正直この探索はあまり面白みがないというか、当初の予定に組み込んでいる探索ではなかったのだ。
もともとはかねてより話題にしている市道丹敷線の丹敷トンネルを探しに来たのだが。
そもそも市道丹敷線がどこかわからないというところからスタートしているので、この蟇目地区の道路を手当たり次第に探してみたのだ。
路線が分からないので、怪しそうな道を一つずつ当たってみたうちの1つが、この市道二又線である。最初はこれが市道丹敷線だと仮定しての探索だったので、結果的には探索も失敗してるし、丹敷線ですらなかった。つらい。
道路の起点の写真はおろか道中の写真も撮影してないので、いきなり橋梁の写真からになる。
この橋が、市道二又線を進んでいくと最初に出会う橋。
未孫内𣘺と書いて「みそんないはし」と読むようだ。
未孫内橋。橋の字が古い!?
昭和39年(1964)完成とある。同時期に道路開発がすすめられたのだとしたら、およそその年代に開通したと考えていいだろう。
この道を進んでいくと、次の写真のような橋が出てくる。
尻髙橋。高の字がはしごの髙だが、橋はなぜか旧字体ではない。
竣工年はこちらのほうが古く、昭和37年(1962)である。上流のほうが竣工年が古いというのが意外だった。
ここまでは緑に囲まれ、いい風景が続く。しばらく行くと二又地区の三叉路に当たるが、左折すると林道芋野線、右折が市道二又線として続く。
こちらも写真を撮っていない(やる気がそがれていた・・・)ので、詳しく紹介はできない・・・ぐぬぬ。
通行止めなしに廃道化?
最後の現役の住宅を過ぎると、明らかに道の管理状況が悪くなる。そして廃屋の脇を通り抜けると・・・この風景だ。
崩れてますやん・・・
通行止めもないのにこれだ。迂回は容易だが、崩れ方としては新しく見える。この先にも道路は一応続いていて、舗装も残っているので辿ってみるが・・・
舗装も途切れました。
一気に廃道化が進行しそうな予感・・・それでもいっちょまえにガードレールは通じているので、辿れるところまで辿ってみた。
ちょっと開けた場所の奥に、ガードレール。おそらく末端部分だと思うけど、写真を見返してみると右折?のような気もする・・・
藪が深そうだったし、軽装備だったこともあってここから先の探索は断念した。
藪が薄い時期を見計らって、再訪してみようかな・・・とも思う。
ちなみに国土地理院地図では、すでに道が書かれていない部分だ。
というわけで、非常に中身の薄っぺらい探索ではあった。終点をきっちり確認しなかったことが少し悔やまれるが・・・
これが市道丹敷線ではなく、市道二又線だったというのも少しがっかりである。
市道丹敷線は残るは蟇目地内のメインストリートぐらいしか該当しないようなのだが、どう見てもそこにはトンネルがないのだ。ますます丹敷トンネルの存在が謎めいている。
自治体の公開文書に誤りがあるのか、それとも実在してはいるが、まだ見つけられてないのか・・・
今後調査を続けてみたいと思う。