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桜楽日記

備忘録とか、道歩きの記録とか。

JR岩泉線 押角駅

JR岩泉線押角駅にいってきた時のことを、今回は記事にしようと思う。

正直、押角駅に関しては記事にするつもりはなかった。というのも、頻繁に通える(距離的にも立地的にもそう簡単ではないのだが・・・)ところであったし、廃駅というものは自分の中では、あまり高揚する素材ではなかったのだ。

もちろん写真は撮っていたけど、秘境駅というカテゴリでいけば間違いなく有名な駅だし、僕が改めて記事にすることもないかなあと。

でも2016年にちょっとした事件があって、記事にすることにした。その中身は、この記事の中で触れたい。 

そんなわけで今回の記事に使う写真は、2014年~2016年の3年間で撮影した押角駅の写真である。(岩泉線に関してはほかにも何枚か写真撮ってるので、その時に改めて紹介します)

 

JR岩泉線は、JR山田線の茂市駅から分岐する、全長約38kmの盲腸線であった。

茂市駅から国道340号線と付かず離れずの距離を保ち、宮古市の隣、岩泉町の岩泉駅までつながっていた。

最初期は茂市駅から押角峠手前の岩手和井内駅までが1942年に開通し、それから徐々に延伸していった。もともとは岩泉から先の小本駅まで延伸する予定だったが、その路線が開通の日の目を見る前に計画は頓挫してしまったようだ。

実際に供用されたのは茂市駅から岩泉駅までの間だけで、そこから先の小本駅までは、岩泉駅の近くでは路盤こそあるものの、計画の段階でしかなかったのだろうと思われる。

 

沿線の人口減少と戦いながらどうにかこうにか存続していた岩泉線だったが、代替交通が発達し、十分カバーできるようになってしまったこと、また2010年に土砂災害が起き、全線運休になってしまったことなどから、2014年に岩泉線は廃止されることになったのだ。

 

岩泉線の中でも、とりわけ秘境であり、その秘境度合い(?)が高いものとして評価されていた駅の一つに、今回紹介する「押角駅」がある。

以前公開した押角峠のふもとにあり、鉄道はこのまま押角トンネルを通って、隣の岩泉町へと抜ける。そのトンネルの手前にあるのが押角駅だ。

前置きはこれくらいにして、押角駅の紹介をしよう。

写真の都合上季節が行ったり来たりするが、ご了承いただきたい。

 

慢心

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押角駅前の白看板。遠景で撮ると、この看板が変な表示なことに気付く(笑)(2014年撮影)

廃止されたのは2014年4月で、撮影したのは7月。廃線ホヤホヤ(?)である。

 

入り口にはちゃんと駅名が書かれた白看板がある。ここまでは迷うことはないのだろうが、駅へと入り込もうとすれば、ちょっとした迷いが生じるかもしれない。

で、本来ならばここで押角駅へのアクセスの悪さを印象付ける写真を紹介するべきだったのだが。

行き慣れていたことで、すでに撮っていたものだと失念していた。

押角駅へは、隣接する国道340号から、木製の人道橋を渡ってアクセスするというものであった。

これが、秘境駅たらしめていた所以でもあるかもしれない。川を歩道で渡って対岸に駅があるというのは、なかなか珍しい立地ではないか?写真がないのが悔やまれるが、割と押角駅を探索した記事にはその写真がある。ここは割愛しよう(悔しいけど!!)

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橋の上から撮影。なんで足元の橋を撮らなかったんだ・・・(2014年撮影)

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冬になるとこんな感じ。中央よりやや左下に、白い駅名看板が見える(2016年9月撮影)

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(2016年4月撮影)

橋を渡り、北側(押角トンネル方面)を向くと、このような風景になる。正面に見える山肌には、国道340号のガードレールが見えるが、こうしてみると本当に深山幽谷に道路を通しているんだと感じる。ちなみに岩泉線は線路が遺されている(撮影当時)箇所が多く、廃線ファンとしては垂涎ものだろうか?

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(2016年4月撮影)

線路わきに捨てられている、かまどのようなもの。近づいて確認することまではしなかったが、鉄道由来の何かだろうか?不法投棄の類とも考えたが、わざわざ木でできた橋を渡ってまで放り投げることもあろうかと考えると、鉄道時代の遺構のような気もする。詳細をご存知の方は、教えてほしい。

 

そしてこの写真から左を向くと、押角駅のホームが現れる。

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(2015年撮影)

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(2014年撮影)

左側の、いかにもホームっぽい造りをしている部分が、まさにホームなのである。

え?木じゃんって?土台か何かじゃないかって?

押角駅現役当時から木製のホームだったのである。現役当時の姿はWikipediaなんかでも見られるし、なんなら撮り漏らした橋なんかもそこにあるので、そっちを見てくれ(投げやり)

駅のことについては詳しくないのでわからないが、当然この幅では単線のホームであった。ホーム自体も高さはなく、かなり低い部類に入る気がした。

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(2015年撮影)

3枚目の写真では望遠になったが、近くで撮影した駅銘板がこれ。一つ上の写真の、ホームの左側の白い看板の裏側が、ちょうど駅銘板として使われていた。その隣には、JRでよく見るタイプの、鉄パイプでくみ上げられた駅銘板のフレームがある。肝心の駅銘板は撤去されてしまったようだった。

 

草刈りをすれば、今すぐにでも汽車が走ってきそうな、しかしやはり秘境たるものを感じさせる風景だった。

 

災害と押角駅

今回押角駅の記事を執筆しようと思ったのは、2016年に起こった、とある災害がきっかけだ。

記憶に新しいかもしれないが、台風10号による豪雨災害だ。史上初めて東北の太平洋側から上陸したこの台風は、北海道、岩手県沿岸、宮城県沿岸を中心に甚大な被害をもたらした。とりわけ岩手県の岩泉町は急峻な地形と、川に寄り添う限られた土地に形成された街並みが多かったことで、豪雨により氾濫した川に軒並み飲み込まれてしまったのだ。

今回の記事にした押角駅も、すぐ隣に刈屋川という川が流れており、その川を橋で渡ってアクセスする駅だった。しかし豪雨災害では川に架かる橋という橋が流されてしまい、そのアクセスを各地で遮断してしまった。

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(2016年9月撮影)

押角駅前の橋を映した写真がこれしかないというのも悲しい話だが、川の真ん中あたりに立つ、緑色の橋脚が見える。鉄骨製の橋脚はかろうじて無事だったようだが、木製の路盤や手すりは、まるで初めからなかったかのように流失していた。対岸に見える線路敷も、増水した刈屋川に飲み込まれたのかもしれない、ひどく平らが際立って見えた。手前の橋脚には洪水で集められた木の枝がびっしりついていて、よく見ないと橋脚があったことに気づけないくらいだった。

この記事を執筆している2017年4月現在で対岸に近づく方法は、川を渡渉する以外ない。実は渡渉は夏に一度試しているのだが、流れが急なうえに水量もあり、そう簡単には渡らせてくれないようだった(濡れることを覚悟で飛び込めば、いくらでも渡れそうだが)

そして橋は架けなおされることもないだろう。当然廃駅になっているし、架けなおす必要が考えられないのだ。

 

今はもう、此岸から眺めるほかない押角駅。もしこの状態のまま現役の路線だとしたら、大井川鉄道の尾盛駅や、室蘭本線の小幌駅に匹敵するような秘境駅として人気になっていたかも・・・

 

余談

ここにも紹介しきれないくらい、押角駅の写真は撮影しています。が、基本的には同じホームの写真で季節が違うだけなので、今回は特徴的なものを選んで紹介しました。

押角峠周辺の記事は、今回の記事と、次回更新する予定の記事で一つの区切りにしようと思っています。いつ更新できるかは不明ですが

そのあとの記事も決まっていますが、執筆する時間とぶっちゃけ意欲が足りないのでなかなか書けない・・・笑

それでもたまに読んでくれる方がいるようで、とてもうれしい限りです。この場を借りてお礼申し上げます。